2015年12月04日

阿部薫 井上敬三 中村達也 Live at 八王子アローン Sep.3.1977

 DIW、2015年。副島輝人のカセットからのCD。むろん、インプロヴィゼーションである。
 原田和典のノートをまとめる。
 この日は、はからずも王貞治の756号ホームランの日であった、と。
 アローンの紹介の後に、3人の紹介が長く続く。梅津和時がスタッフになって、フリージャズが増えた、とも。さもありなん。
 3人の関係としては、3人共演は最初で最後。阿部と、大正生まれの井上の共演もこの1回だけ、とある。
 井上がこの日を語っている様子は、『阿部薫 1949-1978』(文遊社、1994)に収録とある。
 また、副島の『日本フリージャズ史』(青土社、2002)にも、興奮状態だったかの井上が扱われている。、
 原田は広島から、梅津に呼ばれて来た、ともある。
 さて、アローンと阿部の関係の考察が興味を引く。この日だけか、せいぜいその数日程度、と。そして、この直前に開店していた、初台の「騒」に移って行ったと。
 最後のあたりは、分秒単位で、阿部の演奏の休止部分も明瞭に、録音内容が語られているのが、非常にうれしい。
posted by 木村哲也 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

間章著作集U・V

 月曜社、2013、14年。
 阿部薫関係の著作に合わせるかのような、間章の著作の刊行である。
 なお、Tは、1982年のイザラ書房刊を指す。『時代の未明から来たるべきものへ』である。「フリージャズ黙示録」「ジャズの”死滅”へ向けて」などの章がある。
 Uは『〈なしくずしの死〉への覚書と断片』で、Vは『さらに冬に旅立つために』である。イザラ書房版と違って箱入りではないが、月曜社版も真っ黒な装丁は継承している。まずは、第2巻の編集ノートを引く。
 「第2巻は、間章がジャズ〜フリー・インプロヴィゼーションについて論じた原稿を集めた。この他の初期原稿やディスクレビュー等は、第3巻に収録する」
 その第3巻の編集ノートを見よう。
 「第3巻は、間章のジャズ以外について書かれた論考、エッセイ、ディスクレヴュー、講演会の記録、初期原稿を収録した」
 なお、第3巻には、第1巻を含めた、総目次と人名・グループ名総索引がついているのもうれしい。
 阿部薫が、日本のフリージャズが、継承される契機と確信した。
posted by 木村哲也 at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 間章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

五海ゆうじ『OUT TO LUNCH 阿部薫写真集』

 K&Bパブリッシャーズ、2013年。
 失礼ながら、久しぶりに阿部薫のことを思い出した。
 騒さんの本に出てくる、つのだ☆ひろ、さんが、当地函館に来てライブをされるとのこと。
 まずは、ライブ前にお目にかかって、騒さんの本にいっしょに出てくる者です、とあいさつした。
 失礼ながら、つのださんは、騒さんの死も、遺著のこともご存じなかった。
 マネージャーさんが、遺著を写メに収め、小生が遺著を持って、ツーショット。
 手前みそながら、貴重な出会いとなった。
 阿部のことを忘れていたわけではないが、久しく新刊の検索もしていなかった。
 そこで出てきたのだ、表題の本である。間章の本のタイトルを持ってきている。中身も英語とのバイリンガルである。
 実家でや、ポリドールのスタジオでの写真は初めて見た。あとは、映画シーンや、ライブシーン。
 崔洋一監督の特別寄稿や、ベルリンの写真も収録されている。
 さて、間章の新刊も出ていた。それは明日。
posted by 木村哲也 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

騒恵美子『ライブ・アット騒GAYA』

 ディスクユニオンから、新刊が出た。
 存じていたが、本にもあるとおり、騒恵美子は10月に亡くなっている。合掌。
 本書が出るまでは、思うところあり、あえて沈黙していた。
 デッサンや写真のほとんどは初めて見たが、語りおろしの最終章以外は、その原稿の存在を聞いていた。
 で、手前みそながら、小生がこのブログの管理人の宮崎二健とともに、116ページから2ページ出てくるのが面はゆい。
 芥正彦や坂田明などの流れに置かれるのは、僭越な気がする。
 さて、当ブログの存在も語られているからよいのだが、騒さんがこれまでに発表してきた文章について、この本でふれられていないのが残念だ。
 しかし、あえてぶしつけを申せば、だからこそ当ブログの存在価値も上がったと言うべきかもしれない。
 また、時系列でもなく、小見出しも少ないので、読みやすいとは言えまい。
 これをステップに、小生なりの「小説阿部薫」を、騒の一周忌より後でまとめたい気もする。
 遺稿の刊行を祝し、ご冥福をお祈りする。

ライブ・アット騒GAYA
posted by 木村哲也 at 17:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

見城徹『編集者という病い』(6・終)

 「不眠症を誘う彼らの死B この世に貸しを遺した 鈴木いづみ」という文章が、先ほどまでの文章の前にある。2001年のものという。
 まともに生きようとするとつらいが、その時思い出すのが、鈴木いづみだと始まる。
 生きていくことそのものが、むごい、とも。
 一般論が長く続く。
 死ぬのは一人でも、寂しさが大きい人は表現活動でしか救われない、とする。
 半分ほど来て、いづみの話になる。
 ポルノ女優が小説を書いただけで、センセーショナルだった、と。
 しかし、いづみの人生が強烈で、小説は淡い、と見城。確かにそうだ。
 容貌も強烈だが、阿部薫との同棲で、前歯がなくなり、女優として成立しなくなった、と。
 生きようとする理由をくれた阿部の、暴力から離れられないいづみ。
 阿部の死んだ後、いづみから電話があったが、放っておいてのいづみの自死、ということは、この本の後で述べているが、見たとおりである。
 離婚を伝えた見城だが、それに対するいづみの答えは、長生きした人のような感受性だった、と。
 切ない。
posted by 木村哲也 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 鈴木いづみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見城徹『編集者という病い』(5)

 鈴木いづみに関しては、要約で進める。
 珍しく「さみしい」と言い、生きていく理由がないのでは、と見城は思った、と。
 哀切を感じる。
 阿部薫の小説を、急がないからじっくり書いてくれ、できるなら、と見城は言った、と。
 いずれ書きそうもなくなるから、なお、と。
 確かに、書く義務があった。
 いづみは、独り言のように同意した、と見城。
 しかし、見城もいづみのことは忘れていた。
 そして、冒頭のように電話がかかった。
 そして、いづみは死んだ。
 いづみのことはよく覚えていないと言う見城。
 しかし、自分の離婚をいづみに知らせた時、しばらく間をおいていづみは、「長く生きていると、人はみんな、さみしいね」と言った言う。
 痛切だ。
 これでこの文章は終わりだが、この本にはもう1か所出てくる。
 そちらも扱う。
posted by 木村哲也 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見城徹『編集者という病い』(4)

 見城を再開する。その先は長いのを承知で引く。
「メロディを拒絶した、単なる一個、一個の音が、阿映え薫の肉体から絞り出されていた。世界(メロディ)を奪われた音を<物(ブツ)>その物に還そうと言う悲壮な意志に満ちた破壊と再生を賭けたアルト。過激というよりは、それは音の究極に近かった。
 この男はもう長くはないなと、僕ははっきりと思ったが、それを口に出すのはあまりにも馬鹿げていた。阿部薫のアルトを生で聴いた者は誰でもそんことは思っただろうし、誰よりも鈴木いづみがそれを一番よく知っていたはずだった。
 数か月後、阿部薫は薬の飲み過ぎで、あたかも予定されたように、逝ってしまった。
 <GAYA>で行われた追悼コンサートも葬儀も、友人達の集まりにも僕は一度も顔を出さなかった。
 「薬(ドラッグ)でも演奏(プレイ)でも俺は一度だって楽(ハイ)になったことはない」
 「俺はアルトになりたい」
 いつか二人きりになった時、阿部薫が呟いた言葉、言葉を僕は思い出していた」
 阿部の死因についてだけは、個人的には思うところがある、とあえて申しておく。
 他は、音を言葉で語るのは難しいが、まずは恐れ入った。
 この先は、鈴木いづみだ。
posted by 木村哲也 at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

浅川マキ『幻の男たち』(3・終)

 前回の続きを引く。
 「わたしは暗い甲州街道沿いを歩いていると、スタッフの男がようやくに追いついて来た。
 「また、量が増えたみたいね」
 「阿部さん、あなたに、なにか言ったの」」
 この後は要約で進める。
 何でもOKと浅川が言うが、浅川のことを阿部が聞く、とスタッフが言う。
 浅川も相当、スリクをしているのではないかと言って、阿部はサングラスを外した、と。
 尋常でない阿部に、惹かれるもののあったスタッフは、知らない、と答えた、と。
 しかし、そうみたいだ、とスタッフが言ったところ、阿部は想像外の表情で笑った、と。
 この先は引用とする。
「わたしは、ふと、いまこの若い男の喉許を薬が通るのなら、やはりあの、ざらっとした感触はあるのだろうか、と思う」
 その先では、渋谷毅が阿部薫と初めて会った夜に、浅川が偶然、出会って日の浅い渋谷に出くわした、とある。
 渋谷より前から、阿部薫に会っていた浅川だが、渋谷は阿部の名前がいい、と言っていた。
 阿部薫の名前がいい、というのは、個人的に反対ではないが、初耳だ。
 ステージでピアノを弾く渋谷。この夜は阿部が客席で座る場所を探していた。
 浅川は、客が帰った直後に店を出たが、渋谷と阿部が出てくるのは朝だろう、と言う。
 以上。
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浅川マキ『幻の男たち』(2)

 前回の続き。すぐ先を引く。
 「終わると店には、それまでの顔見知りだった阿部さんとわたしが残った。店のママとマスターはカウンターの中で後片付けをしている。カウンターは細長い造りのさらに入口に面していた。ママは、ジャズのレコードをかけ続けて、それでまた、好きな演奏者がいつでもライヴ出来るようにと、大きなスピーカーが置いてあった。
 阿部薫は、わたしを呼ぶと、アップライト・ピアノの蓋を開ける。
 「ね、俺の、ほんとうに一番好きな、曲ね」
 彼はからだを横に揺らすと、スタンダード・ナンバーの「恋人よ我に帰れ」を弾く。それは、彼の普段からは想い浮かばない曲だった。[中略]
 「ね、唄って」
 阿部薫は言った。わたしは彼の背後から指先の動きを目で追っている。
 [中略]
 その夜から何カ月か経ったとき、同じ店で阿部薫を垣間見た。相当量の薬を飲んでいる様子なので、わたしはそのまま引き返した。すると、わたしのスタッフの若い男が呼びとめられてしまった」
 最後のあたりは、騒恵美子から聞いた覚えがある。
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浅川マキ『幻の男たち』(1)

 講談社、1985年。初の書き下ろし小説。見城をあえて中断する。
 浅川マキは、昨年1月に亡くなった。
 柄谷行人との対談がしおりに収録されている。その最初のほうの浅川の言葉を引く。
 「わたしは、小説を書いたという気持ちは全然ありません。もう、ありのままを書いただけですから」
 小説のあり方は、ここでは追求しない。
 8作収録の7作め、「デュオ」から、阿部薫が出てくるところを引く。
 冒頭には渋谷毅が出てくる。そして、つのだひろ、も出てくる。
 話は「スリク」、即ち睡眠薬の話になる。
 60年代にジャズを演奏した人は、皆、経験者ではないかとも言う。
 その先を引く。
 「アルト・サックス奏者の阿部薫さんが亡くなったのは、七〇年代の終わりの頃であった。その一年のあいだに、わたしは二度会った。
 日曜日の夜で、初台の小さな店には観客は十人はいなかったかも知れない。阿部さんはドラマーひとりを相手に一時間ほどサキソフォンを吹き続けた。その音色は美しい。フォームを決めない演奏は、聞き手の観念を拡げていったと思う」
posted by 木村哲也 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月23日

見城徹『編集者という病い』(3)

 前回の続き。
 阿部薫の描写だが、口数が少なく、真っ青な顔をして、ボソボソと話す、とある。
 そして、奇妙に胸に突き刺さった、とも。
 さらに、あれほど書き直させたいづみの小説は、印象が薄いとも。そんなものか。
 その中で、阿部薫だけが、彼女にとっては痛切であったろうとも。
 さて、別れたい、と言いながら、いつもいづみは薫といた、と。
 この世に違和感を感じているかの阿部には、負の存在感がある、と見城。そして、苦しむ阿部に嫉妬しながらも、いっしょにいようとせざるを得なかった、と。
 すでに、一度死んでいたいづみは、薫ともう一度生きてみたいと思った、という表現が、痛切ながら興味を引く。
 
 この後に、最初に見た、騒恵美子の記述がある。その時の続きから見る。
 突如、LPが送られた話の後、サックスが質に入っていて吹けなかったと薫が言ったとか、薬の飲み過ぎでステージをすっぽかしたといづみが言った、とかある。
 唯一聴いたステージは、見城とその妻、そしていづみだけの観客だった、と言う。
 阿部薫は、うずくまるように演奏した、とも。
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見城徹『編集者という病い』(2)

 昨日の続きだが、この文章の冒頭に戻る。
 夜中にかかってきた、結果的に最後になった、鈴木いづみからの電話についてから始まる。
 キャッチホンという、懐かしい語も出てくる。
 「必ず電話をください。昔、親しかった人たちに挨拶をしたいのです」という言葉を忘れない、と。
 しかし、見城は電話をしなかった、という。
 そして、その数か月後の自殺。
 それで意味がわかった、という。悲痛。
 
 さて、新人作家発掘の仕事をしていた見城は、五木寛之の勧めで、鈴木いづみと会った、という。
 二人きりでは最初で最後だったが、阿部薫に折られたかの前歯についてふれられている。
 阿部薫は、いづみの出張校正に明け方でも来た、と。
 阿部のほうから、こうもべったりしているのは、やや意外。
 阿部の死後は、見城は電話だけで会わなかったというが、やや妙。
 そして、電話口で、いづみは興奮せず、醒めていた、とも。
posted by 木村哲也 at 02:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

見城徹『編集者という病い』(1)

 集英社文庫、2009年。単行本では、太田出版、2007年。
 第1章「SOUL OF AUTHOR」で、「不眠症を誘う彼らの死B 鈴木いづみ」があり、その先に「最後の挨拶 鈴木いづみ」も見える。
 ここでは、あえて、失礼ながら珍しくこういうところに騒恵美子が出てくる、後者の途中を見る。
 「「騒<GAYA>」というジャズ・スポットは初台の甲州街道沿いの汚いビルの中にあった。[中略]ライブ・スポットとは名ばかりの、ミカン箱が椅子の代わりに置いてあるような殺風景な店だった。[当時、初台に住んでいてジャズ通の]僕と女房は、そこでサントリー・ホワイトの水割りを飲み、女主人と話し込み、たまに、名前も聞いたことのない、若いジャズメンの生を聴いた。
 ステージもないその店で、阿部薫が奏るようになったと女主人に聞かされたのは、鈴木いづみと阿部薫を識ってから、随分とたってからのことだった。生で聴かせてください、と頼んでも、僕は気が向かないとダメだから、と気負うでもない彼のはにかむような答えが返ってきて、一体、いつ演奏してるのかと、生活費のことを考えると心配だった」
 順不同で、しばらくこの本。
posted by 木村哲也 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月21日

中条省平『ただしいジャズ入門』

 春風社、2005年。著者は学習院大学の仏文の教授。ジャズ評論の発生は、フランス語圏スイス人によるものから、と。表題は、ジャズの飽和点を歴史的に必然と意識するというもの、と。
 『スイングジャーナル』に連載されたものを単行本化。
 さて、通販で入荷した古書だが、運命的に阿部薫のページに、既刊本案内のしおりがはさまっていた。2003年の連載。
 「ザ・ラスト・レコーディング」の冒頭のやや後を引く。
「すでに四半世紀が過ぎたが、この夭折の天才の伝説は、歳月の経過とともにすすれるどころか、ますます濃密な神話化の一途をたどっている。しかし、近年DIWが発掘している阿部薫の音源を聴くかぎり、阿部のインプロヴァイザーとしての異常な能力は神話でも伝説でもないのである」
 この至言の後は、共演の高柳昌行について語られる。
 死を10日あまり後に控えた遺作について語られる、最後の部分を引いて終わりにする。
「音楽の限界から脱出することのみを夢見、祈るようにして、阿部はアルトサックスに息を吹きこみつづける。音質の生々しさにも驚嘆させられる。音の可能性の探求が、即座に音の限界の露呈として、その苦難に満ちた恍惚をあらわにする。そんな、痛々しくも純粋な、音とえもーションの実存的な記録である」
posted by 木村哲也 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月15日

『三上寛 怨歌を生きる』

 彩流社、2000年。帯に五木寛之推薦とある。
 阿部薫のテレビに出ていた山川健一は、作家としても五木に師事していたが、三上を推薦とは、失礼ながらやや驚いた。
 何のつながりがあるのだろうかと、読み進める。
 はたして、五木寛之の弟の死についてふれられる、「音楽の深い闇を生きる」p.155から。
「『五木寛之の論楽会』は五木さんが一九七〇年代の初頭に、渋谷の小劇場『ジァン・ジャン』で始めたもので、五木さんがホスト役になり、音楽の演奏と、ゲストたちの討論を同時にやってしまおうという試みで、ラジオのディスクジョッキー番組を、そのまま舞台に持ち込んだようなものだった。
 始めた当初は白熱した討論が一晩中続いたらしく、観客は毎回のように始発電車で帰ったということだが、その頃の論楽会には参加していない」
 あのテレビ番組そのものという感じではないか。
 もう少し、続きを引いて、終わりにする。
 「オレが参加し始めたのは七〇年代の後半の頃で、その時は、全国の五木ファンがその噂を聞きつけて、各地から要請があり、一座を組んで旅回りというスタイルに変わっていた時だった。
 会場もどちらかというと地方の小ぢんまりとした場所が選ばれ、居酒屋を借りて行なわれたこともあった。
 それは五木さんの持論で『こういうものは大ホールで偉そうにやるもんじゃなく、客が入りきれないくらいでギューギュー詰めの方が内容が深くなるんです』ということだった」
posted by 木村哲也 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『中央線ジャズ決定盤101』

 明田川荘之の監修、音楽出版社、2008年。副題が「極私的こだわりジャズディスクガイド」。
 アケタを始め、十数人の共同執筆である。
 30ページが阿部薫の「なしくずしの死」。沼田順の執筆である。
 副題が「常に引き裂かれた音、阿部の大代表であり永遠に残されるべき記録」。冒頭を引く。
 「阿部薫の音を語るときは、どうしてもある種の感懐というか複雑な心境になってしまう。なぜなのか。それは阿部の音のひと粒ひと粒の悲痛さと自らの悲痛さをダブらせてしまうからだ。論理的な言い方ではないが、阿部のヴァイブレーション(というようなもの)を感じられるか感じれられないかという差異であると勝手に思い込んでいる」
 至言か。
 遅れてきたフリージャズ青年は、間章のライナーもあって、精神の一部分が形成されたと言う。
 阿部のジャケットの黒さがアナーキーにつながっている、という後の、最期の部分を引く。
「つまり大雑把に言うと阿部の音は常に引き裂かれていた。引き裂かれた音を出す阿部も常に引き裂かれていた、と。実に的確な間の解説である。強さと弱さも紙一重だ。あえて”弱さ”と書かなければ納得し得ない、針の穴を通すような感応をご理解いただければ幸いである」
posted by 木村哲也 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿部薫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

騒恵美子によるいづみの悪女論

 以前にも拙ブログ「命コキユの悪女学」で鈴木いづみについてふれたが、騒恵美子から、いづみと悪女のことについての貴重な証言をいただいた。
 本日から分割掲載する。
http://navy.ap.teacup.com/akujo/
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2011年01月01日

「阿部薫とその時代」を見て

 表題のテレビ番組について昨年UPしたが、感想を述べておく。
 ともあれ、番組が持たれたことは評価したいし、今になって再視聴が、だれにでもできるようになったことはありがたい。
 また、単行本に一部が活字化されたことはふれたが、やや編集しすぎだ。もはや映像が見られまい、という先入観もあったが、うっかりもしていたものの、テレビとの関係を理解するまでに、時間を要した。
 五木の司会は見事だったが、蓮舫は率直なところ勉強不足。
 また、三上は話しすぎ。最後は、おとなしそうな山川にまで、発言をさえぎられていた。
 芥は、差別発言もあったが、ロートレアモンやアルトーなどのたとえは、お見事。そこを蓮舫などは、わかっていまい。ただ、いささか衒学的ではあったが。
 そして、音楽評論家よりは、ライブハウスのママたちに、もっと話していただくような感じにすべきだったのではないか。ゴマスリではないつもり。
 やはり、音を言葉で語る難しさも痛感した。それでも、こうして語ることはぜひとも必要である。
 虫の知らせか、案内されたわけでもないところで見ていたら、出演者からのアプローチがあったのには苦笑した。
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2010年12月31日

「ねェ 怒ってなあい!? 私も貴女のこと 書いたんだけど」 <騒の出逢った鈴木いづみ>(7・終)

 「「ねェ あんた 怒ってなあい? 私 死んじゃったんだョ」
 もし今、彼女のこんな電話がかかってきたとしたら、きっと私はこう答えるだろう。
 「怒ってなんかないョ 貴女はあなたらしく、自分の人生を生ききったんだろうからネ。怒ってはないけれど……でもとってもさみしいョ あなたほどの女には滅多に逢えるもんじゃないもんネ。怒ってないから、安心してまたまた遊びにおいで」
 「あんた 怒ってないんだア よかったア じゃあ 今から行くからネ」
 甲高くぶっきらぼうな、それでいて甘ったれたいづみのあの声を、もう一度聞いてみたいと、私は今も強く思っている。
 そして私も「「ねェ 怒ってなあい 私も貴女のこと 書いたんだけど……」と言ってみようかしら。彼女はどんな顔をするだろう。もしかするとこんな返事が返ってくるかもしれない。
 「あんたねェ 前に自分が言ったじゃない、描いたのは その相手をどう見たか、このように自分は見ているという、自分自身を書いているい過ぎないってさァ。それをそっくりそのまんま、あんたに返すから、受け取んなさいよォ。フンッだ。あたしのこと、あんたなんかに書けるはずないじゃん! 絶対に書けるはずないもんネ!」
 勝ち誇ったように言い放つ、うれしそうな表情の、いづみの顔が目に浮かぶ」
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2010年12月30日

「ねェ 怒ってなあい!? 私も貴女のこと 書いたんだけど」 <騒の出逢った鈴木いづみ>(6)

 話はいづみの精神科通いになる。
 いづみは、薬は拒否、と。伊東のいい医者が他へ移ってしまった、とも。
 個人的には、精神科での医者との相性の重要性を思う。

 クールと自称していたいづみだが、騒はここに至り、反論する。
 他人の評価を非常に気にしていた、と。
 また、騒にはピアニストで金子いづみというのがいて、区別のために、ネコねずみ[訂正]と呼んでいた、と言う。ネコは、金子という名字の一部でもある。
 阿部ともデュオをして、こちらのほうのいづみなら、鈴木いづみは心を許せたかもしれぬ、と騒。
 鈴木いづみの娘は、鈴木いづみの死の際、金子いづみに電話した、とも。
 同名の偶然も幸いしたものか。
 
 さて、最後では、いづみから電話がかかって来なくなって、さみしがっている騒の、架空の対話がおもしろい。
 あえて、全文を明日、引く
 新年は、「阿部薫とその時代」の個人的感想。
posted by 木村哲也 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鈴木いづみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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